2017年1月30日月曜日

「無料モデル」は難しい 少なくとも「物語」においては

 かつて小説家、久米正雄が、論考「私小説と心境小説」で「自分のことを書いたもの以外、文学ではない。その意味において、トルストイドストエフスキーも通俗小説にすぎない」と、猛烈にディスったことがありました。

 これは現代でも私小説を語る上でよく引用されるのですが、もし今であれば、いい感じにぼうぼう炎上していたのではないでしょうか。

 「じゃあおまえは永井荷風も谷崎もダメか」「あたりまえだ、あんな変態。芥川龍之介も晩年は私小説に行ったぞ」などと、信者間でコメント欄の激闘が起こったかもしれません。

 もっとも、久米正雄は当時の文壇で勢力を持っていた人。炎上しても平然としていたかもしれませんし、むしろ「文学に注目が集まっていい」とうそぶいていた気もします。

 そもそも、自分たちのことを売り出すために、こうした「プロレス」を仕掛けることは、文学の世界ではよくあることでした。今も昔もコンテンツを売ることは難しい。自信作でも人に知られない限りはどうにもならない。「炎上ビジネス」といっても、それはむしろ昔ながらの伝統かもと感じます。

 「キングコング」の西野亮廣さんが絵本「えんとつ町のプペル」を、発売3カ月後に無料公開。このことをきっかけに、あらためて「無料という試み」に注目が集まり、支持や、あるいは「クリエーターに対価が支払われなくなる」という批判など、賛否両論さまざな意見が出てきていました。

 私自身は売れない作家ですが、そうした自分としては、無料公開して成功するかどうかは、結局はその人の才能と努力次第。

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