2014年6月24日火曜日

スマホを遠ざけるのは逆効果。中高生とスマホの適切な距離感とは?

生徒を縛るようなルールを意地でも設けないことで知られる名門校、灘や麻布でも、スマホに関してはルールを設けざるを得なくなってきているという記事。これ面白い。
「ついに灘・麻布でも規制! 名門校教師も怖れるスマホの中毒性」

私は、河崎さんみたいに面白くは書けないのだけど、これに関連して、スマホ問題について、前々から思っていることを徒然に書いてみようと思う。

人間はつねに、「便利だけど危険なもの」の危険を少しずつコントロールすることを学習しながら進歩してきました。
はじめて蒸気機関車が走ったとき、もの珍しさに集まった観客が何人も轢かれて亡くなったそうです。
そんなに危ないものであることがわからず、接近しすぎてしまったそうなのです。
そうやって痛い目に遭いながらでも、少しずつ危険と利便性のバランスをとるのが、人間の知恵といわれるのでしょう。

子どもが最初に触れる危険なものは、火、刃物、高所の3つではないかと思います。
そこで、危ないからハサミは触っちゃダメ、ライターは触っちゃダメ、木に登っちゃダメとやっていると、いつまでたっても、ハサミの使い方、ライターの使い方、高所でのバランスの取り方を身につけることができません。
親の監視の下、ときには痛い目に遭うことを承知で適度に危険に触れることが必要だと思います。
そうする中で、ツールとしてのハサミやライターの使い方を覚えるだけではなく、これ以上高いところに上ったら危ないぞとか、これ以上火に近づくと火傷をするぞとか、ハサミをもっているときはまわりにも気をつけなきゃとか、危険なボーダーラインを認識する感覚も磨かれていくのだと思います。
いわゆる危険察知能力というようなものです。

火、刃物、高所という基本的な危険に対する危険察知能力すら磨かれていないのに、もっと高次元な危険に対する危険察知能力が機能するわけがないと私は考えています。
子どもの世界にあることでいえば、先ほどのネットもそうですし、テレビゲーム依存もそうでしょう。昨今話題のいじめの問題もそうでしょう。「これ以上はやばい」という感覚がなければ、どこまででもやってしまいます。

そういう感覚がないまま大人になると、ギャンブルにつぎ込んでしまったり、薬物に手を出したり、業務上横領をしてしまったり、不倫相手とどこまでも失楽園してしまったり、詐欺にあったりという、「一線を越えてしまう」リスクが大きくなるのではないかと思います。

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