2014年1月27日月曜日

いきなりの転籍。それでも前向きに働き続けた理由 -日本IBM 荒川朋美さん【1】

■入社以来の衝撃
日本IBMに入社して以来、最も衝撃的だった出来事といえば、当時所属していたPC事業とともに事業売却先のレノボ・ジャパンに移籍したことです。当時はその事業部のブランドとマーケティングの責任者でしたが、私を含めた国内PC部門の約400人が日本IBMをいったん退社し、売却先企業に入社するかたちをとりました。
正式発表の1カ月前に上司から説明を受けたときはまさに青天の霹靂。入社してちょうど20年が経っており、それまで育ててもらった日本IBMには感謝していたので、この退社は「卒業」だと受け止めました。全世界で実施された事業移管でしたが、各国での進め方は異なっており、日本では、会社分割法に基づく転籍となりました。
転籍といっても、会社をゼロから自分たちで設立するのです。銀行で新しく口座を開設しようにも、会社名がまだ決まっていないなど、ハプニングの連続でした。
私は新会社では執行役員となり、製品・マーケティングを引き続き担当することになりました。PC部門の事業売却が公表されると、メディアで誤った情報が数多く流れ、ブランド戦略の責任者としてその対応に追われました。
例えば「本社がニューヨークにあるグローバル企業」といくら説明しても、「中国に本社がある」と誤って報じられるのです。正しい情報を提供するため、お客様やパートナー企業にご説明にまわり、新聞広告を何度も打ちました。そういう地道な努力の積み重ねで、少しずつ新会社のブランドを市場で正しく認知していただくことができるようになりました。
■"女性担当者"に納得しない顧客も
新会社の設立にあたっては、過去に経験したことがない予想外の状況が次々と押し寄せてきました。それでも何とか前向きに対応できたのは、日本IBMで最初に配属された北関東営業部での11年間があったおかげだと思います。仕事人生の土台を築いた時期だといって過言ではありません。
慶應義塾大学・商学部を卒業し、システムエンジニア(SE)として入社したのは1985年です。グローバル企業で働くことに憧れていたのに、最初に配属されたのは埼玉県。絶対に行きたくないと思って、「千葉の自宅から遠くて通えない」と抵抗したほどです。
北関東営業部は埼玉、群馬、栃木が主な担当エリアで、長野や新潟の一部もカバーした時期もありました。少人数の営業部ですから、1人で一通りのことは、こなせないといけません。業務のコンサルティングなど専門領域を超えた仕事も任され、それが経験の幅を広げてくれました。

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